こういうのあまり載せちゃいけないような気もするので、少しだけ載せておきます。
機会があればみなさんもこういう展示会を観にいくとよいかなと思います。新しい感激に出会えるかもです。









おまけ・・・京都 茶寮翠泉 新宿店
グラスにミルクが見えるけど、抹茶やほうじ茶をあわせてまぜるとできあがりのラテです。
日本特有の茶・・・抹茶はおいしいですよね。外国の方も大好きな方が多いといいますが、和なデザートも飲み物も
最高!
新宿住友ビル1階西広場にある「京都 茶寮翠泉 新宿店」にて。




こういうのあまり載せちゃいけないような気もするので、少しだけ載せておきます。
機会があればみなさんもこういう展示会を観にいくとよいかなと思います。新しい感激に出会えるかもです。









おまけ・・・京都 茶寮翠泉 新宿店
グラスにミルクが見えるけど、抹茶やほうじ茶をあわせてまぜるとできあがりのラテです。
日本特有の茶・・・抹茶はおいしいですよね。外国の方も大好きな方が多いといいますが、和なデザートも飲み物も
最高!
新宿住友ビル1階西広場にある「京都 茶寮翠泉 新宿店」にて。





吉見百穴(よしみひゃくあな・ひゃっけつ)へ
太平洋戦争末期に、地下に巨大なトンネルが掘られ軍需工場が造られたときに、発見されていた横穴の一部が破壊されてしまい、237基から219基へ減少したそうです。この軍需工場跡の方は現在入ることはできません。巨大な地下迷路?だったとか・・・・。
さて穴のほうですが・・・・もともとは穴には石の蓋が立て掛けられていたそうですが、今は中に入ってみることができます。亡骸を置いていたらしき場所が区切られていたり、両サイドにその場所が作られていたり、人が立っても平気な高さの穴もあれば入るのも大変な低い穴もあります。墳時代とはいえ、少し身分の高い人とかその家族がまいそうされていたのでしょうか。
残念だったのは、この墳墓の穴の中には落書きがひどくたくさん彫られていること!!!!人の墓を荒らす不届き者がいるなんて悲しくなります。むかしむかしは、子供が遊び場にしていた時もあったようなので、落書きもいたしかたないのでしょうか・・・。残念です。





解説文書とともに展示してあるそれらの絵画は、恐ろしく、悲しく、心が痛い、いえ、体が痛いと感じるものでした。あの日あの時に起きた恐ろしい出来事を屏風絵に封じ込めてあります。ここに写したものを全部載せることはやめておきます。ぜひ足を運んでみてきてほしいと思います。それと、この夫妻が描いたものは原爆だけではありません。「水俣の図」「アウシュビッツの図」「南京大虐殺の図」なども描いており、展示されていました。もうひとつ、恥ずかしながら・・・・南京大虐殺の歴史を私は知りませんでした。真実がどうであったのかはわかりませんが、このことが東京裁判でも取り上げられ認定されたことは歴史上の真実で、恐ろしい時代の日本人が犯した恐ろしい歴史だと、今日知ったのです。
この時代でも戦争は続いています。戦争以外にも人災はあります。人が犯す罪は必ず防げるものであると信じたいですね。







草間彌生美術館へ
五階建ての建物で、はいるとすぐに赤いに黒の水玉オブジェが出迎えてくれる。あぁ草間流だぁ!って感じ

2階 (撮影禁止) はちょっと違う。初期の作品は色も落ち着いていてどこか幻想的で、もちろん彼女の見えている世界はこうなんだな・・・・という絵ばかりであるが、現在の作品とは色合いがまるで違う。さらに奇妙な指のような銀色一色のオブジェがある。指が何本も生えてそこにお玉らしき調理器具。不思議な世界だ。
3階 (撮影禁止) にはあぁ草間流だぁという作品が並んでいる。愛とか死とか一生とか宇宙とか自殺未遂なんてのもある。これだけ点々というか水玉というかバリエーションすごいなぁ。風景も人間の顔も模様もいろんなものが映りこむ世界・・・うーん。私にも私だけの世界があるような気がしてきちゃう!!!
参考; https://yayoikusamamuseum.jp/home/
そして4階は、映え体験してきましたよ。部屋に入ったら・・・・・もうこれは写真でわかるのか?ぜひ体験すべきですね。5階のオブジェは、花でした。実に草間流です。原色使い最高!!そして屋根がオープンなのでまさに空の下です。途中2階にあるトイレのドアを開けると・・・・なんと鏡が赤水玉に!!写真見てね。写真はないけれど、エレベーターも赤水玉の鏡張りでした!
共感とかいう世界ではなく、草間彌生の見えてる世界ってすごいな!という楽しい美術館でした。お土産にハンカチとステッカーを買いました。





戦争放棄に関する条約 認証謄本
これは、1928年(昭和3年)8月27日に調印された条約で、提案国は、アメリカ、フランス、日本、イギリス、イタリア、ドイツなど15か国が調印国として締結(のちに、63か国に拡大)。不戦条約とも呼ばれるそうです。このような条約がむすばれていながら、この後戦争はおきてしまうわけで、私自身勉強不足で知らなかったので、おどろきました。条約の締結は国際社会において重要であると思う一方で、簡単に破棄できてしまう危うさも感じて現代の戦争国などを思うと、恐ろしくも感じました。そして、太平洋戦争終結。
日本の降伏。戦争終結から6年は占領状態。1951年(昭和26年)9月7日サンフランシスコ平和条約、翌日には、日本とアメリカの日米安全保障条約が結ばれました。
当時吉田茂首相が読み上げた巻紙は30mもあり、外国人記者からは「まるでトイレットペーパーのようだ」と評されたそうです。私も実際に見てびっくりしました。
また、日米安全保障条約の署名本書は、これがよくニュースにもなっている「ニチベイアンポ」かと思いました。




この他の条約調印署名も多く展示されており、この目でみることのできるとても貴重な史料なので、世界と日本の歴史をしるよい機会となりました。
おまけ・・・愛宕神社
神谷町虎ノ門方面の改札から少し移動・・・
愛宕神社へ続く参道であったろう場所を歩き、みえました・・・おそろしく急な階段がその階段をのぼれば、都区内では最高峰の三角点があります。愛宕神社はそういう場所にあったのですね。



愛宕神社(あたごじんじゃ)
【主祭神】
火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉
【配祀】
罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉
将軍地蔵尊・普賢大菩薩
ということで、江戸の町の防火のために創建されたことがよくわかる神様ですね。そして、86段の階段ですが、もちろん上りましたよ~雨降りでしたので、傘をさして一段一段ゆっくりと決して振り向かず、下を見ることなく!だって振り返ったら落ちていく感覚になると思ったので。とにかく1段が高さもあり、そしてとても急階段なのです。こんなところ馬で駆け上がるなんて、なんと無謀なと思いますが、間垣平九郎が馬であけあがり徳川家光に愛宕神社の梅を見事献上したことで「出世の階段」とよばれるようになったのですね。結構いろんな方が馬で駆け上がるの成功しているらしいです。(凄い!!!!!)




NHK放送博物館
愛宕神社のすぐお隣にありますので、神社に参拝の際は無料ですので是非寄られるとよいですよ。昔懐かしいものから現代の放送技術まで見ることができます。大河ドラマ「光る君へ」の紫式部、藤原道長、おじゃる丸や、ちこちゃんもいました。現在は、「今日の料理」の企画展示もされていて企画がいろいろならいつ行っても楽しいかもですよ。天気予報とかアナウンサーになった気分も楽しめるスペースありました!あと画面上は海の中にいるみたいなスペースも。放送の歴史だけでなく楽しみました。
世代ごとに楽しめる「あ、これ観てた!」という懐かしさ。それとは真逆の終戦玉音放送ニュースのアナウンス原稿の貴重な展示も。知ってる放送も知らない放送もその歴史が学べます。(行って楽しんでください)











おまけ・・・(麻布台ヒルズ)
ランチは、タワープラザ1F「ペリカンカフェ」の注文後に焼き上げるふわふわオムレツサンド。墓地さんぽの先生お薦めの、ワープラザ1Fの「ペリカンカフェ」では、老舗パン屋「ペリカン」の食パンを使った、注文後に焼き上げるふわふわの「オムレツサンド」が人気だそうです。
トーストされたパンに、分厚くふわふわのオムレツが挟まれたサンドイッチはボリュームすごくておなかいっぱいに!!
おしゃれ感ただよう麻布台ヒルズは、クリスマスマーケットの準備中でした。


さて、この日は生田の駅を降り五反田川を横目に明治大学生田キャンパスにたどりつくまでは戦争の遺物についてこれまでと同じよう戦争の悲惨な被害による教訓となる施設・・・と思い歩いていた。キャンパスという場所も入る機会も今はなく、俗用でいえば浮足立っていたかもしれない。しかしながら、その遺物の館を前に、本来の意味を持つ「浮足立つ」に気持ちは変わっていった。
ここは恐ろしい場所だった・・・
※館内の写真撮影は禁止なので、ホームページで公開されているものを使用させていただきました。
※帝銀事件で発覚する日本軍の実態、秘密研究
参考 2021年8月7日 講演会 YouTube



第1展示室
登戸研究所の全容
ここでは、もともとの研究所ジオラマが展示されている。生田のこの高台に多くの働き手が仕事を求めてやってきたのだろう。軍研究所が政府下にあるなか、登戸研究所は1937年に設置された参謀本部直下の研究所だった。つまり、政府の方針とは別に秘密戦の研究を自由に行うことができたのである。登戸研究所は、正式名称を第九陸軍技術研究所という。この土地はもとはブラジル移民のための研修所(日本高等拓殖学校)だったそうで、研究所を経て、戦後は慶應義塾大学に貸し出され、1951年に明治大学農学部が移転してきたそうです。


第2展示室
登戸研究所第一科 風船爆弾
直径10mの和紙とこんにゃく糊をはりあわせてつくられた風船をアメリカ大陸まで到達させるべく研究された。ジェット気流にのせて2晩と半日で到達したそうです。高度維持装置を自動で落とすしくみや、到達後燃え尽きる設計だったそうです
将来的にはウィルスを乗せる予定だったようです。アメリカ大陸には1000発以上が着弾。アメリカ側の被害は、6名(子供5名、妊婦1名)着弾した不発弾にさわった子供たちの命が奪われました。9300発が放球され、犠牲は6名。ガイドスタッフの方がこの数をどうおもわれますか?という質問がきたが・・・・・答えようもなかった。成功か失敗かでいえば、日本軍としては失敗なのだろう。また、試験段階での日本側にも被害がでているらしく、そちらの方が多かったかもしれない。
この風船爆弾の製造に関わったのは、日本全国の女学生。余談ではあるが私の母(93歳)は、岐阜県で女学生の頃、この和紙とこんにゃく糊をはりあわせる作業をしたそうだ。なので、風船爆弾のことは知っていた。その作戦研究をしていたのがこの場所であったとは・・・。それにしても海でなく空。気象条件などの調査などどのようにしたのか・・・
日本の天気予報にそのころの知識が生かされたと信じたい。

第3展示室
登戸研究所第二科 生物兵器 毒物 スパイ機材
諜報部員が使用するスパイ道具を研究開発するグループや、枯葉剤や毒物を研究するグループ、細菌研究など7班もの研究グループがあったようです。
スパイ道具といえば、映画で観るようなものでしょうか・・・カメラ・ライター・カバンなど。そしてなによりも、動物で実験していた生物兵器。こちらでは多くの動物で実験したため慰霊碑が建立されています。人体実験をしたのは、あの有名な731部隊。中国のハルピンや南京などで死刑囚などにこの実験を行ったそうです。リアルな証言として私記が公開されていました。
「はじめは厭であったが、馴れると一ツの趣味になった・・・(略)」
人の心理はどうしてこのように変化するのか・・・人の死よりも知識欲が上回っていくのだろうか。命を奪う行為にいつ何時、どのような事態であっても否定的でありたいが、経験した人でしかわからない気持ちだろう。悲しいことだ。

4展示室
登戸研究所第三科 印刷技術研究 偽札
キャンパス内には、5号棟、26号棟という木造平屋建ての建物が存在しましたが、老朽化のためそれぞれ2011年、2009年に解体されたそうです。
5号棟は偽札の印刷工場、26号棟は偽札の保管倉庫として使用されていたそうです。1937年に日中戦争がはじまりますが、日本は武力での制圧は難しく、経済戦争をしかけるため偽札を作ったようです。国家が他国の偽札を作ることは国際的道義にも反しますので、偽札作りの第3科は3mの板塀で囲われていたそうです。偽札は中国国内の経済の混乱と現地での物資調達の目的で日本円にして40億円分も刷られたそうです。
しかしながら、予算も労力もかけたこの作戦は中国で起きたハイパーインフレのせいで失敗に終わりました。日本が刷った少額の紙幣よりも大きな額の紙幣が発行されたため使うことができなくなったのです。この印刷技術も後の日本紙幣の素晴らしい技術になんらかをもたらしているとしたら複雑な気分ですね。

第5展示室
研究所の疎開から現在の研究所保管に至るまで
第2次世界大戦で戦況が悪化し、研究所は長野に疎開しました。内地に敵軍が攻め込んだら必要となる水などに毒を入れ、自分たちはきれいな水が確保できるように、ろ過装置が研究されその遺物が長野で発見されたそうです。敗戦となると、機材や資料、印刷物などはすべて処分されます。証拠隠滅・・ですが、一人の女性が1冊の「雑書綴」を持ち出します。もちろんみつかれば重犯罪、後に第2科での様子を読み解くことができた貴重な資料となりました。

暗室
研究所には暗室が1部屋用意されています。
入口から中に入るのに工夫がされていてドアをしめ、電気を消すと廊下の光さえさえぎられ完全な暗室になります。
写真の現像はもちろんですが、どのような実験に使われていたかはわからないそうです。

戦争犯罪としての研究
さて戦後GHQによって接収された研究所ですが、関係者は尋問を受けたにも関わらず戦犯とはなりませんでした。アメリカへの情報提供を条件に免除されたようですが、真実は闇の中・・・ですが、朝鮮戦争やベトナム戦争で登戸研究所の開発された生物化学兵器の技術が使用されたなどとも言われたり、帝銀事件の際には、731部隊や登戸研究所関係者が捜査対象になったりしましたが、捜査は途中で頓挫・・・なぜなのでしょうね。
沈黙から記憶の保管へ
登戸研究所第2科第一班長であった伴氏は、沈黙を守ってきましたが長野県赤穂高校の高校生たちの取り組みによって、その気持ちが軟化していきます。話せないこともあるが、歴史は残していきたい。高校生である彼らにだからこそ語るのだということで、元所員の人々も重い口を開き始め、その活動の後にタイプをしていた女性が隠し持っていた「雑書綴」も提供されることになったり、こうして登戸研究所の歴史は闇に埋もれず歴史研究保全されていくことになったのです。
キャンパス内の遺物その1
弾薬庫
これは薬品などの保管庫ではないかといわれています。通称が「弾薬庫」だそうです。年中一定の温度だそうで保管庫に適していたことでしょう。



キャンパス内の遺物その4
第5号棟(偽札作りの棟)
現在は取り壊されています。駐車場になっていました。


キャンパス内の遺物その5
動物慰霊碑
実験動物の霊を慰めるための大きな石碑です。1943年に東条英機首相兼陸相から授与された勲章の副賞現在の価値で1000万のうち半分でこの碑を建てたそうです。後ろには「陸軍登戸研究所建之」と刻まれています。



キャンパス内の遺物その6
弥心神社 やこころじんじゃ
(現、生田神社 (いくたじんじゃ))
動物慰霊碑の他、1000万円のうちの半分を使い、この神社は建立されました。ここには有志で建てられた句碑があります。
「すぎし日は この丘に立ち めぐり逢う」という句で、これはこの研究所で勤めた人達が、死ぬまで沈黙を貫こうとおもっていた記憶を、戦後数十年を経てこの丘に立ち話すことが許されたなという気持ちの句だそうです。
ここでひとつ・・・・私が注目したのは、この神社に勧請された神様なのですが、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)この神様は有名な日本神話アマテラスの岩戸隠れの話でアマテラスに外に出てきてもらうために知恵を絞る神様です。また、国譲り神話では出雲へ送る使者選定をし、天孫降臨では八咫鏡を祭事に用いました。知恵と計略の神様です。八幡信仰(応神天皇・・・勝利の神)ではなく思兼神を勧請したことはこの研究所に似つかわしいのかもしれません。なぜか・・・勝利とかでなく知恵。戦争に関するこの研究所の存在意義がこの神様を勧請した意味にもつながるのかなと感じました。





最後に。
今回の登戸研究所は日本人にとって負の遺物とも言えます。ですが、戦争は加害も被害も両面が必ず存在し、どちらにたっても辛い傷を負うのです。そんな人生をこの先の人類にしてほしくないと強く思いました。辛い歴史もまず知ることが大切だし、日本の教育から歴史そのものが選択性に変わっていくこともとても納得できません。すばらしい古代史から現代史まで日本の歴史は学んでいくべきものと強く強く感じました。
最後の最後は・・・
ハッピーアワー?
生ビールに餃子やニラ玉で小腹を満たし、五反田川の桜を眺め佳い一日を終えました。
これで私の墓地ぼち散歩は卒業となりました。




2025年1月
今年初めてのがん定期検診の帰りに武蔵国一宮小野神社へ行ってきた。
普通に民家の中にあって境内にはいると広い。木々の少なさが気になったが、これは周りの民家に配慮しているのだろうか・・・
ひっそり静かに、ここが武蔵国一宮?他にも名乗る神社はあるが・・・
〒206-0002
東京都多摩市一の宮1-18-8
参考; https://onojinja.or.jp/
御祭神
天下春命(あめのしたはるのみこと)
瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)
稲倉魂大神(いなくらたまのおおかみ)
末社
伊勢神宮内宮 伊勢神宮外宮
鹿島神社 三嶋神社
巌嶋神社 安津神社
子安神社 方便神社
日代神社 愛宕神社
八坂神社 稲荷神社
秋葉神社 堰宮神社
御由緒
廷喜式が撰せられた折には武蔵国八座の一社として登載された。国府の近在なることに由いて国司や住民の崇敬も殊の他篤く総社六所宮創建の砌には東殿第一次の席を与えられて一之宮と称された。然して当社の社伝には永承六年源頼義陸奥守に任せられて下向の途次其子義家と共に参籠され太刀一振りと詠歌一首奉納の事績が繙かれ吾妻鏡にも養和元年四月一宮は吉富井蓮光寺と併記され更に建久四年八月の刻印ある経筒の銘に一宮別当松連寺が記録されている。
御朱印














「天下春命・天ノ下春命(あめのしたはるのみこと)」
天下春命は、八意思兼神(おもいかね)知恵の神様の御子神です。饒速日命が天降ったときに、護衛とした32柱の神のうちの1柱とされています。記紀には登場しない神様ですが、旧事本紀(くじほんぎ)に登場します。武蔵の秩父国造らの祖ともいわれています。
「瀬織津姫・瀬織津比咩・瀬織津比売・瀬織津媛(せおりつひめ)」
瀬織津姫(せおりつひめ)は、大祓詞や古史古伝のホツマツタヱ、神社伝承などで存在が知られるが、記紀には登場しない神様。水神や祓神、瀧神、川神である。九州以南では海の神ともされる。祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神。
天照大神の荒魂としての瀬織津姫を祭神とする神社として伊勢神宮(三重県伊勢市)がある。
「稲倉魂大神(いなくらたまのおおかみ)」
一般的に「お稲荷様(お稲荷さん)」として親しまれている、日本で最も有名な食物・穀物の神様。古事記では「宇迦之御魂神」、日本書紀では「倉稲魂尊」と書かれますが、どちらも同じ神様です。
ご祭神の謎 (天下春命と瀬織津姫の組み合わせはなぜ?)
天下春命はニギハヤヒが天下ったときに護衛としてつきしたがった1柱であったとすれば、ニギハヤヒの奥様であった瀬織津姫が御祭神となっていてもおかしくはないのかも・・・(ニギハヤヒと瀬織津姫の関係は不確かではあるが、こうしてにニギハヤヒに関連ある神様と一緒に祀られているのであれば関係は深いのか・・・)
また、この地域は多摩川の水害もあったのかもしれない祓い浄めの神でもある女神が祀られたのかもしれない。
※ニギハヤヒは記紀においてニニギノミコトより先に天孫降臨していた神様※

武蔵国の総社として歴史ある神社。厄除けや縁結びでご利益があるようです。「國魂」と名の付く神社には行ってみたかったのですよね~
「國魂」なので、その国や地域の守護神的な意味合いだと思うのですが、この神社の主祭神は・・・誰かな?
〒183-0023
東京都府中市宮町3-1
参考; https://www.ookunitamajinja.or.jp/
御祭神
本殿は・・・
中殿
大國魂大神(出雲の大国主神と御同神)御霊大神 国内諸神
東殿(向かって左)
一ノ宮 小野大神 二ノ宮
小河大神 三ノ宮 氷川大神
西殿(向かって右)
四ノ宮 秩父大神 五ノ宮
金佐奈大神 六ノ宮 杉山大神
末社
宮乃咩神社・松尾神社・巽神社
水神社・稲荷神社・住吉神社
大鷲神社・東照宮・国府八幡宮
坪宮・瀧神社・天神社
他
鼓楼
忠魂碑
日露戦役記念碑
軍艦多摩戦没者慰霊碑
相撲場
御由緒
起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものである。出雲臣天穂日命[いづものおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて武蔵国造[むさしのくにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。御祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]で武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神で昔この国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。年間行事のお祭りは毎月様々開かれているようですが、5月の「くらやみ祭」はとても有名なようです。
御朱印




























水神社での人形祓え
末社にある水神社の裏手の岩から湧き出す水はパワースポットとしても人気のようですが、ここでは「人形祓え」の人形流しが行えます。紙製の人形に自身の名を書き体の木になる部分を撫でて息をふきかけ心身の穢れや災いを移し境内の小川に流します。ちょっとした清めの儀式を体験できます。
祭神:水波能売命(みづはのめのみこと)加茂別雷命(かもわきいかづちのみこと)玉依姫命(たまよりひめのみこと)加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と、ここにも気になる神様がいっぱいです。
ちなみに・・・新海誠監督の「君の名は」の主人公、宮水三葉(みやみずみつは)は、みづはのめのみことからとられた名のようですよ。






宮乃咩神社 みやのめじんじゃ
御祭神: 天鈿女命(あめのうづめのみこと)
天岩戸の前で舞を踊ったとされる女神で、日本最古の踊り子(芸能の祖神)とされています。鎌倉時代、源頼朝が妻・北条政子の安産を祈願した神社として知られています。「底の抜けた柄杓(ひしゃく)」の奉納
安産祈願の際、水が通り抜けるように「お産も軽く済むように」という願いを込めて、底を抜いた柄杓を奉納する独特の習慣があります。
大國魂神社と同時期(西暦111年)の創建と伝えられる、非常に歴史の古い神社だそうですよ。


大国主命(おおくにぬしのみこと)
国造りの神様で、記紀では試練と自愛の国津神。農耕や医薬の知恵を人々にもたらした功績で知られる。また日本神話には欠かせない神様だが国譲りをする条件に壮大な宮殿(社)を要求しそれが出雲大社であると言われている。
ご祭神の謎
徳島県美馬市に倭大國魂神社があります。この社の主祭神は大国魂命と大己貴命(おおなむちのみこと)です。この大己貴命は、大国主命と同一神なのですが・・・では大国魂命は誰なのか?という疑問が残ります。大国魂命は、大和国そのものともいわれ、大和地方に地主神ということになる。大和地方を治めた最初の神は・・・ニギハヤヒ? また、彦火明命(ひこほあかりのみこと)とも言われ、同神? ニギハヤヒは、ニニギよりも早く天孫降臨している神ということですが、本当に気になる神様です。

ふらっと立ち寄る村の鎮守様的な・・・おでかけついでに町中にある神社をのぞいてみるのもいいものです。
梅が綺麗でした。
〒142-0062
東京都品川区小山5丁目8-7
御祭神
誉田別命(応神天皇)
(ほむたわけのみこと)
摂 社 宇迦之御魂神
(ウカノミタマ)
境 内 地蔵尊、馬頭観音、庚申塚
御由緒
こちらは小山八幡神社からの分祀にて創建とされています。
小山八幡神社は長元3年(1030)ご創建の八幡神社で、小山村一帯の鎮守です。江戸時代の延宝・元禄年間(1673~1704)に三谷地区の名主・石井助太夫が小山八幡神社の八幡神像を屋敷内に奉遷されました。その後、当地にあった出世稲荷社の境内に遷座して「三谷八幡」と呼ばれるようになり、小山村・三谷地区の鎮守となりました。
https://sanya-hachiman-jinja.localinfo.jp/ より
御朱印
小山八幡神社と三谷八幡神社の両社祭の際の御朱印を頂きました。

「誉田別命・応神天皇(ほむたわけのみこと・おうじんてんのう)」
第15代天皇で、神功皇后(じんぐうこうごう)の子で武人として崇められました。日本中の八幡神社で祀られています。
「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」
日本神話に登場する穀物の神様です。古事記ではスサノオと神大市比売(カムオオイチヒメ)の子で大年(オオトシ)と兄弟(妹)。日本書紀では、イザナギ、イザナミの子。京都伏見稲荷大社をはじめ全国の稲荷神社で祀られています。性別はわかりませんが女神として表現されることが多いです。
ご祭神の謎
応神天皇は、仲哀天皇と神功皇后の子とされてるのですが、仲哀天皇崩御後に生まれ、はっきりと生まれた日にちが記されていることも意図的と言われています。父親説としては、武内宿禰、住吉大神、百済王説などがあります。4~5世紀頃の天皇と思われますが、この時代には渡来人の受け入れが多くあり、大陸文化も伝わった時代です。
宇迦之御魂神を祀る稲荷神社も渡来系氏族秦氏が深く関わり信仰していた神ともいわれ、秦氏は古代ユダヤともいわれ、このためウカノミタマとヤハウェを同一神とみる議論もあります。また、豊受大神(伊勢外宮に祀られるトヨウケノオオカミ)とも同一視されることがありますが信仰される場は異なります。すごく謎ですね。









