月に1~2本くらい日常をきりとったエッセイを書いてみようかなと思います。暇つぶしにどうぞ。
活字中毒から・・・
過去の話だが、数年間ほど「文字が読みたくて仕方ない」時期があった。
対象は何でもよかった。小説、雑誌、学術書、あるいは家電の説明書。とにかく文字が目に飛び込んでくることが快感で、忙しい仕事の合間の通勤時間さえ、格好の読書タイムとして待ち遠しかったのを覚えている。
当時は自分勝手に「活字中毒」なのだと思い込んでいたが、後にネットで調べると、実際にその言葉が存在することを知った。読書家に多く、文字を読んでいないとイライラすることもあるという。私の場合、そこまでの禁断症状はなかったものの、買い物の最中に商品のパッケージにある細かい説明まで隅々読んでしまう癖は、今振り返れば一種の「熱」に浮かされていたのかもしれない。
ただ、当時の私は、仕事で出会う年上のお客様との「経験値の差」を知識で埋めようと必死だった。社会全般の知識を吸収しようとする切実さが、結果としてあらゆる活字への扉を開き、薄く広い興味を次々と沸き立たせてくれたのは確かだ。
その「中毒性」が落ち着いたのは、当時の仕事に区切りをつけた頃だった。
手当たり次第に読む段階を過ぎ、興味のある分野や好きな本をじっくり選んで読む、いわゆる「普通の本好き」に戻ったのだ。しかし、それと入れ替わるように、知識を吸収する欲求は「書く」ことへと形を変えていった。
最初は仕事のアイデアや決意を記す「お仕事日記」から始まった。日々の思考を文字に起こす習慣は、新しい仕事への向き合い方にも大きな影響を与えたと思う。そうして何年かメモ書きのような日記を続け、その仕事も今年で終えたわけだが、形を変えながら今も記録は続いている。日々の小さな出来事を書き留めておけば、後で読み返したときに当時の記憶が鮮明に蘇る。そうした時間に顔がにやけている自分がおもしろい。
話が少し脱線するが、二年ほど前から古代史に深く興味をいだいた。
またもや文献を読み漁る日々が始まり、最近では動画での学習も加わった。それらを自分なりに考察し、記録したノートはすでに十三冊に及ぶ。
「書く」という行為自体が好きなのだと自覚したが、同時に、自分が書いた文章やメモを読み返す時間もたまらなく好きだ。
そこで気が付いた。私は「活字中毒」を経て、今は「文字フェチ」になったのだと。
見たもの感じたもの、出会った経験や考えを書き残しておくことは、未来の自分の楽しみになるだろう。
かつての数年間にわたる「活字中毒」は、「書く」に至る病だったのかもしれない。
2026年6月
声をかけられる損得の日
私は、昔からなぜか人によく声をかけられる。
その理由は自分でも全くわからない。道を聞かれるのは日常茶飯事だが、病院などの待合室などでも、目を合わせたつもりすらないのに話しかけられる。
先日は、スーパーの駐車場でのことだった。
「あ、どうも。この車、お宅さんの?」
突然、見知らぬおじさんに話しかけられた。
「はい、そうですけど…」
「シエンタだね。色もいいね」
「はぁ、ありがとうございます」
「内装がいいね。オプション?」
「いえ、標準で選べますよ」
「へぇ、選べるの?布張りいいね。こういう車もいいなと思ってね」
そこまでは、よくある車の世間話だと思っていた。だが、おじさんのトークはここから加速する。
「私の車は軽なんだけど、見てくれる? 業者に頼んでキャンピングカー仕様にしたんだよ。400万もかかっちゃってさ」
「へぇ、すごいですね。この車よりお金がかかってますよ」
「だよね! 友達にも、普通にいい車買えるだろってバカにされるよ。ははは!」
話題はそこからなぜか、野球の大谷翔平選手へと飛んだ。
「ところでさ、大谷翔平は好き? まぁ、嫌いな人なんていないか。実は私、酒屋をやっていてね。日本ではあまり出回っていない『大谷翔平のお酒』を置いてるんだよ。お父さんと知り合いでね、特別に置かせてもらってるんだ。今度寄ってよ」
おじさんはスマホを取り出し、写真を見せながらさらに続ける。
「大谷くん本人には会ったことないけど、一平さん(元通訳)ならよく知ってるんだ。アメリカにある彼の父親の店によく行く縁で、折れたバットをもらったこともあるよ。次に日本に来るときはサイン入りバットを持ってきてくれるって言ってたんだけど……あんなことになっちゃってねぇ。ほら、これ、彼にプレゼントしようと思って作った印鑑なんだよ。印章って日本らしいだろ。だからプレゼントしようと思って作ったんだけどね。渡せずじまいだ・・・」
驚くようなエピソードの連発に、私は話を遮るタイミングも逃し、ただ立ち尽くすしかない。そのとき、近くに停まっていた車からけたたましい警報音が響いた。
前に止まっていた車の助手席のおばあちゃんが何かを誤操作してしまったらしい。おじさんは「おっと」と駆け寄り、パニックになっているおばあちゃんを助けにいった。
(その間に消えるべきだったか……)
音が鳴り止み、おばあちゃんが安心したのを見届けると、おじさんは再び私のところへ戻ってきた。
「いやー、長話しちゃったね。引き止めて悪かった! ぜひ今度、うちの店においでよ」
そう言って、おじさんは満足げに自分の車に乗り込んで去っていった。
……一体、何だったのだろうか。
きっとおじさんは、誰かに話したくて仕方がなかったのだろう。
私はこういう「気のいい人」から、どうにも逃げられない。
逃げるのが下手なのか、嫌な顔をしないせいなのか。自分では「話しかけないでオーラ」を出しているつもりなのだが、美容院くらいでしか効果がない。
この顔は得なのか、それとも損なのか。
いいこともあれば、面倒なこともある。
ただ一つ確かなのは、その日買ったばかりのアイスが、おじさんのトークが終わる頃にはすっかり溶けていたということだ。
2026年6月
みたらし団子
最近、仏様へのお供えにみたらし団子を買うことがある。
スーパーで見かけるのはおおよそ3本パックのものだが、子供の頃は近所の団子屋で1本から買えたものだ。
愛知県から関東圏に引っ越してきて、団子の「定義」が決定的に違っていることに驚いた。それは、みたらし団子が甘いたれで覆われていることだ。
名古屋に住んでいた頃のみたらし団子は、団子が「むぎゅー」とは伸びないし、あんなに甘いたれで覆われてもいなかった。まるで蒲焼のように、串に刺した団子を焦げ目がつくまでじっくり焼き、少し甘めの醤油だれにたっぷり浸しては、また焼く。醤油の焦げる匂いと、団子に刻まれた香ばしい焦げ目。早く早くと、口と心がせがむのである。
串をくるくる回しながら焼く団子。仕上げにたれをもう一度くぐらせ、さっと炙ってから、薄っぺらい竹の皮に包んでくれた。もう遠い昔の記憶だ。
一方、関東のみたらし団子のたれは、甘くてトロンとしている。葛餡(くずあん)でできているからだ。「あぁ、こちらにはこれしかないのか」と落胆したのを覚えている。
名古屋のみたらし団子にお上品さはない。お茶菓子には向かないかもしれないが、子供から老人まで、おやつには最高なのだ。
もしかして、私が思っていたあの焼き団子は、そもそも「みたらし団子」という名称ではないのだろうか。
気になってインターネットで調べてみることにした。
調べてみて、まず気づいた。関東で買うみたらし団子は4玉だが、名古屋の団子は確か5玉だったはずだ。
そして驚いたことに、みたらし団子の発祥は京都・下鴨神社の「御手洗祭(みたらしまつり)」や「葵祭」とされるらしい。江戸時代に江戸へ伝わり、現在のような形(4玉・葛餡)になったようだ。つまり、私の食べていた名古屋の団子こそが、原初の形を色濃くとどめていたということだ。なぜか、無性に誇らしい。
だが、現在関東圏に住む私は、この昔ながらの団子に一向に遭遇できない。
どうしても、なんとしても食べたくなった。「新幹線で名古屋へ行こうか」——そんな衝動に駆られるが、そう簡単にはいかない。
そんな折、ふと思い出したことがある。
名古屋発祥の「コメダ珈琲店」だ。最近、和風喫茶の「おかげ庵」という業態ができ、そこでは自分で団子を焼けるという情報をテレビで見た気がする。
「これは、行くしかないだろう」
私は団子好きの友人を誘い、一番近い新宿店へと足を延ばしてみた。
お昼時を外した午後二時。それにもかかわらずお店は混んでいて、なんと十二組待ち。整理券は「百番」だった。なんとも縁起のよい番号ではないか。
待つこと四十分。ようやく席に案内された私たちは、団子三本とあんみつ、そして飲み物を注文した。
店員さんが運んできたのは、小さな電気七輪のような焼き台だ。待ちに待った団子もやってきた。玉数は四つだが、今はそんなことは構わない。さあ、焼きましょ、焼きましょ。
焦げ目がついたら、醤油にくぐらせて、また焼く。じゅっと音がして、あの匂いが立ちのぼる。
これだ。
一口かじる。
醤油の焦げた香ばしさが、まっすぐに記憶を引き戻す。
確信した私の目の前で、友人も「おいしい」と笑顔を見せてくれた。
慣れ親しんだ醤油の味。
どうやら、私の中の「みたらし団子」は、ちゃんと残っていたらしい。
2026年5月
ありがたき「優先席」
私が身体障害者手帳を持つようになって4年が経つ。
ストマ(人工肛門)のためのパウチなど、必需品を購入する際の公的援助を得るためだが、社会の中にあるこの制度のありがたさを日々実感している。
数年前のある日、混み合う電車の中でいつものように立っていた。それが当たり前の日常だったからだ。ところが帰宅して驚いた。パウチの中が血だらけだったのだ。
一瞬、腸からの出血かと焦ったが、原因は違った。私のストマが、摩擦で傷ついていたのだ。
私のストマは少し突起している。他人の体に触れれば、相手に違和感を与えてしまうかもしれない。だから私はいつも「人に触れないように」とカバンでカバーしていたのだが、それが仇となった。満員電車で押し込まれ、カバンとストマが擦れ続けてしまったのだ。
「守るためのカバン」が「傷つける凶器」に。そんな真逆の事態になるなんて・・・・
それ以来、私は市役所でヘルプカードをもらい、できるだけ優先席のある車両に乗るようにした。
しかし、現実は甘くない。カードを下げていても、優先席に座る人たちの多くは目を閉じている。「席を譲る」という空気はほとんど流れていない。立っているしかない時、カバンを前に抱えるとまたストマを傷つける恐れがある。かといって横や後ろに避ければ、今度は他人の邪魔になる。満員電車の中で手でストマをガードしながら立ち続けるのは、本当に神経を使う作業だった。
この4年間、一度も席を譲られたことはなかった。私がおばあさんに見えるわけでもなく、外見からは障害があるようにも見えないのだから、当然かもしれない。
ところが先日、初めて席を譲ってくれる女性がいた。
私のヘルプカードに気づき、「どうぞ」と促してくれたのだ。ものすごく感激した。しかし、私は反射的に「大丈夫です」と答えてしまった。その方は私よりずっと年上に見え、申し訳なさが勝ってしまったのだ。それでも彼女は「どうぞ」と席を立ち、離れたドア付近へ移動していった。
私は「ありがとうございます」と言って座った。だが、胸のうちは複雑だった。次の駅で目の前の席が空いたのに、彼女は座ろうとしなかった。一度立ち上がると、再び座るのが気まずいのかもしれない。彼女が降りるまでの4駅、私はただただ申し訳ない気持ちで見守ることしかできなかった。
それから日もたたないある日、また席を譲られる機会が訪れた。
ホームの優先席車両が止まる場所で列の3番目に並んでいた。電車が着き、中から人が降りてくる。優先席からも一人が降りた。一番前に並んでいたサラリーマンが当然のようにその席に座ったが、私がヘルプカードを提げて彼の前に立つと、彼は無言ですぐに席を譲ってくれた。両隣に座る若い人は寝ている。お礼を言って着席。
彼は私の前の席の方へ背を向けて立っていた。2駅先で優先席が空くと、彼はまたそこへ座った。しかし、今度は杖をついたお年寄りが乗ってくると、彼は再びサッと席を立った。
「なんて優しい人なんだろう」と思う一方で、「最初から優先席ではない位置に移動しておけばいいのに」という不思議な矛盾も感じてしまった。
私自身、障害者手帳を持つ前は、優先席に座っていてもお年寄りや杖の方を見かければすぐに立てるように眠らずにいた。しかし、いざ「使う側」になってみると、その難しさが身に染みる。
よく、寝ている若者を起こして「お年寄りに譲りなさい」と注意する人がいるが、私はあれが正しいとも思えない。世の中にはヘルプカードを持たずに、外見では分からない痛みや悩みを抱えている人もいるからだ。
目に見えるものだけで判断することの危うさも、かといってすべてを汲み取ることの不可能さも、どちらも電車の中には同時に存在している。
あの日、パウチの中に流れた血を思い出すたび、私は自分の体を守ることの難しさを思い出す。
そして同時に、誰かにそれを理解してもらうことの難しさも。
電車に乗るという、ごく当たり前のことが、少しだけ特別な行為になってしまった。
2026年5月
ミルクカルピスと時間の楽しみ方
最近、牛乳で作るカルピスにすっかりハマっている。カルピスといえば子供時代の定番だが、大人になってからは疎遠になっていた。それが先日、ふらりと入ったカフェで飲んだ一杯に「おいしい!」と衝撃を受け、自分でも作り始めたのだ。
作ってみよう!
まずはカルピス糖質60%オフの濃縮タイプを調達した。
コップに2cmほど注ぎ、牛乳で割って氷を浮かべる。……が、何かが違う。喉に重く、カフェで飲んだ味とはズレがあるのだ。
次はカルピスを1cmに減らし、水と牛乳を半分ずつにしてみる。
うーん、これも惜しい。
試行錯誤の末、ついに正解に辿り着いた。
「カルピス1cm、水が1/3、残りの2/3を牛乳、そこへ氷少々」。
これだ。
喉に絡む重さが消え、驚くほどサラリと飲める。
この夏はアイスカフェラテと、このミルクカルピスで乗り切るつもりだ。
年月を経て、懐かしい飲み物が形を変えて生活に戻ってきた。
ん?まてよ・・・昔好きだったものを思い出して視点を変えてみるとなかなかおもしろい今を経験できるかもしれないなぁ。
「あの時のあれ、今ならこんな風に楽しめるかも」
そんな風に想像を巡らせるだけで、退屈だった時間が少しだけ急ぎ足で、彩り豊かに過ぎていく気がした。
2026年4月

