谷中霊園 2024 06 20

天王寺墓所~谷中霊園(日暮里)~寛永寺














※※参考になる地図※※


川崎大師 2024 10 18

川崎大師


北の湖 敏満
いわずもがな。昭和の大横綱ですね。でもお若く亡くなっているなんて大きな手形に手をあてると関節1つ分大きかったです!輪島との対戦が多くあり一時代を築いた憎らしいほどの強さと評された力士ですね。一行はそれぞれ北の湖の強さを口にしながら昔にふけるのでありました。


さて、今日はお墓巡りは北の湖さんのみなんですが、一行はこのあとお正月とかにはめちゃ混みでゆっくり見られない大師内探索を致しました。ちょっと大師内の地図を確認しましょうか


大本堂

毎日護摩が修行されていて、平日でも多くの人が申し込みをしていましたよ。

八角五重塔
昭和59年の弘法大師1150年御遠忌に落慶されたそうです。姿形も華麗で格調の高さもうかがえ、一行は「ほほ~」と見上げるのでありました。

大山門
この大山門は、昭和54年の「神奈川県建築コンクール」で一般建築部門の優秀賞に輝いたそうですよ。ここから仲見世が並んでいて、川崎大師の入り口で顔ともいえますね。

遍路大師尊像
弘法大師の像の周りは、四国88か所巡りができるようになっており、一行はありがたくもここで88か所巡りを済ませてしまったのであります。(笑)

きんぴかの降魔成道釈迦如来
(こうまじょうどうしゃかにょらい)
お釈迦様が悪魔に誘惑され、それを退けた時の姿のようですね。一行はあまりの金の光に圧倒されておりました。

やすらぎの橋
つるの池に架けられた朱色の橋は古来災難を除き幸福を招くを言われ欄干には悟りの段階(発心・修行・菩薩・涅槃)を表す梵字の20文字が刻まれています。一行はありがたくこの橋を歩きました。また、池の周りにあった柳がとても雰囲気のある風景でもありました。


第55代横綱 北の湖敏満の像
平成になり3回忌の折に親族より建立されたそうです。まさか川崎大師で北の湖に会えるとは!!一行驚き!!!!!


日本百観音霊場お砂踏み参拝所
まだ真新しいレリーフがずらっと並び奉祀されています。なんとなくレリーフに手を添え、まわってみました。ふとおだやかな気持ちになったのは気のせいでしょうか・・・


鐘楼堂
大晦日から元旦にかけてよく見る光景。除夜の鐘をつくこともできるのかな・・・「ゴーーーーーン・・・」


とまぁ・・・一行は大師内を思う存分散策し、仲見世をぶらぶらしながらランチへと急ぐのでありました。今日のランチは、おそば。こういうところに来るとやはり蕎麦なんですよね。せいろを久々にたべました。おいしかったよーあ、昼間のビールもいっしょにね!!ふふふ・・・


今日のおまけ
帰り道、大師商店街で麩饅頭を買って帰りました。だーい好きなんですよねー
その日しか食べられないのであまり見かけないのですが、川崎大師で出会えるとは・・・💓

春秋苑墓地 2024 12 19

春秋苑墓地 生田駅

















世田谷区北烏山(2) 2025 02 20

東京都世田谷区北烏山 寺町です






妙壽寺
墓地ではなく、ちょっと京都に来た気分になれるお寺です。竹林も美しく古都を感じられますよ。

そしてひときわ目を引く建造物、鍋島侯爵邸の一部が移されたものだとか。自然のなかの木造客殿、もう雰囲気最高です。


このお寺には関東大震災で被災した梵鐘が割れたままの状態で保管されていたり、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を記した碑があるなど、見どころが多いです。


専光寺
喜多川歌麿(浮世絵師)NHKで「べらぼう」を観ているので、今後の出番が楽しみです。寛政三美人 (当時三美人)、蔦屋重三郎により出版され、色ごとに分けられた多くの木版により刷られ、背景には白雲母がちりばめられ、きらめく効果が生まれた。非常に人気があったと考えられ、三者の配置は1790年代の流行となった。(Wikiより)


喜多川歌麿(きたがわ うたまろ、1753年頃 – 1806年)は、江戸時代を代表する浮世絵師。女性の顔や上半身を大きくクローズアップして描く「大首絵(おおくびえ)」という手法を美人画で完成させた。

代表作
寛政三美人』(当時人気のあった美人3人を描いた作品)
婦人相学十躰(ふじんそうがくじゅったい)』
歌まくら』(春画の傑作として知られる)など


小池朝雄(俳優声優)
刑事コロンボでおなじみの声優さんです。
知らなかったのですが、アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ「ジョーの子守唄」では歌手を務めたということです。(Wikiより)


高源院
弁天池は湧き水の池で水かさがかわるようです。現在は沼化してました・・・


園山俊二(漫画家)
代表作「はじめ人間ギャートルズ」墓碑にイラストが描かれていましたよ


永隆寺

六代目 三遊亭 圓生(落語家)
本名は山﨑 松尾 苗字がふたつあるような名前ですね。戦中に満州に慰問したが終戦で帰国不能となり生死ギリギリの生活で約2年間暮らしたそうです。個人の持つ演目数としては、落語史上でも最多だったのではないかと言われている。 得意演目は、人情噺から滑稽噺、音曲噺、芝居噺、さらには怪談噺まで幅広いジャンルを演じ分けることが特徴のようだ。

昨年も行っておりますので 第1弾はこちらから


おまけ・・・ランチは中華
中国料理「広味坊」本格的な中華料理屋さんだけど庶民的な・・・
味は「うまい!」私は五目海鮮焼きそばいただきました。海老とか大きかったよー。が・・・食べ始めてしまって写真がひどいです。(お許しあれ)そこで、八宝菜麺を頼んだ仲間に写真いただきまして、色合いも最高。サラダにデザート(ライチゼリー)もついてきましたよ。お茶はジャスミンかな。
気になったメニューがありまして、かご盛り定食(1日10食限定)
たべたあと動けなくなるかもと思いあきらめました。

江戸東京博物館 2021 11 18

江戸東京博物館

両国。私はこの地がはじめてなので、もちろんこの場所も初めてです。江戸~昭和の移り変わりがわかるということで、とても素晴らしい空間でした。ジオラマをみていると焼けてしまう前の銀座の街がなんともおしゃれ。ビルばかりでないあのおしゃれな街並みが現在に残っていたら素敵だなと思いました。鹿鳴館が上からガラス張りでのぞき込めるようになっていましたが、焼けたとおもっていた鹿鳴館は取り壊されたのだと知り、びっくりでした。

無知な私はこの日の一番の驚き散歩仲間のNさんが教えてくれたのですが、越後屋さんのジオラマを観ていた時にNさんが教えてくれました。江戸時代の豪商越後屋とは三井家のことであると。呉服屋は三越となり、両替商は銀行へとなっていきます。越後屋さんて、なんとなくドラマ的には悪役と絡んだりする商人というイメージですが、ほんとうに豪商だったんですね。

和田誠展 2021 11 11

東京オペラシティアートギャラリー 和田誠展

初台の駅からすぐ
新国立劇場のある東京オペラシティ、とてもおしゃれな場所でした。
開場時間にはすでに人が並び始めており、人気の高さもわかりました。検温と消毒をすませチケット購入(¥1200)中に入りますと、和田誠の世界が!!ここ2年ほどイラストなど描いている私にとっては、勉強になりましたし、なによりもその数がすごい。週刊文春の表紙を飾ったいらすとだけでも、見ていてつかれるほどの数・・・ほんとにすごいイラストレーターというか作家さんです。

こういうのあまり載せちゃいけないような気もするので、少しだけ載せておきます。
機会があればみなさんもこういう展示会を観にいくとよいかなと思います。新しい感激に出会えるかもです。

おまけ・・・京都 茶寮翠泉 新宿店
グラスにミルクが見えるけど、抹茶やほうじ茶をあわせてまぜるとできあがりのラテです。
日本特有の茶・・・抹茶はおいしいですよね。外国の方も大好きな方が多いといいますが、和なデザートも飲み物も
最高!

新宿住友ビル1階西広場にある「京都 茶寮翠泉 新宿店」にて。

墳墓 吉見百穴 2023 10 19

吉見百穴(よしみひゃくあな・ひゃっけつ)

この不思議な山の穴は、江戸時代には記録が正体不明とうことで、明治時代に発掘調査がはじまり、大正時代に6世紀末~7世紀後半の古墳時代に作られた横穴式の墓という結論になったようです。

吉見百穴(よしみひゃくあな・ひゃっけつ)

太平洋戦争末期に、地下に巨大なトンネルが掘られ軍需工場が造られたときに、発見されていた横穴の一部が破壊されてしまい、237基から219基へ減少したそうです。この軍需工場跡の方は現在入ることはできません。巨大な地下迷路?だったとか・・・・。

さて穴のほうですが・・・・もともとは穴には石の蓋が立て掛けられていたそうですが、今は中に入ってみることができます。亡骸を置いていたらしき場所が区切られていたり、両サイドにその場所が作られていたり、人が立っても平気な高さの穴もあれば入るのも大変な低い穴もあります。墳時代とはいえ、少し身分の高い人とかその家族がまいそうされていたのでしょうか。

残念だったのは、この墳墓の穴の中には落書きがひどくたくさん彫られていること!!!!人の墓を荒らす不届き者がいるなんて悲しくなります。むかしむかしは、子供が遊び場にしていた時もあったようなので、落書きもいたしかたないのでしょうか・・・。残念です。

おまけ・・・五家宝(ごかぼう)

帰りは埼玉名物「五家宝(ごかぼう)」を買いました。おこしとは違い、サクサクして軽く、歯にもくっつかず、きな粉で覆われほんのり甘い上品なお菓子でした。おいしくただきました。

丸木美術館 2023 10 19

丸木美術館

みなさんは原爆をテーマに作品を作り続けた丸木 位里(まるき・いり) 丸木 俊(まるき・とし)ご夫妻をご存じですか? 私は恥ずかしながら、今日ここへ来るまで存じ上げませんでした。原爆をテーマにした絵画をご夫婦で描き続け、世界中で展覧されたということです。

解説文書とともに展示してあるそれらの絵画は、恐ろしく、悲しく、心が痛い、いえ、体が痛いと感じるものでした。あの日あの時に起きた恐ろしい出来事を屏風絵に封じ込めてあります。ここに写したものを全部載せることはやめておきます。ぜひ足を運んでみてきてほしいと思います。それと、この夫妻が描いたものは原爆だけではありません。「水俣の図」「アウシュビッツの図」「南京大虐殺の図」なども描いており、展示されていました。もうひとつ、恥ずかしながら・・・・南京大虐殺の歴史を私は知りませんでした。真実がどうであったのかはわかりませんが、このことが東京裁判でも取り上げられ認定されたことは歴史上の真実で、恐ろしい時代の日本人が犯した恐ろしい歴史だと、今日知ったのです。
この時代でも戦争は続いています。戦争以外にも人災はあります。人が犯す罪は必ず防げるものであると信じたいですね。

草間彌生美術館 2024 02 15

草間彌生美術館

五階建ての建物で、はいるとすぐに赤いに黒の水玉オブジェが出迎えてくれる。あぁ草間流だぁ!って感じ

2階 (撮影禁止) はちょっと違う。初期の作品は色も落ち着いていてどこか幻想的で、もちろん彼女の見えている世界はこうなんだな・・・・という絵ばかりであるが、現在の作品とは色合いがまるで違う。さらに奇妙な指のような銀色一色のオブジェがある。指が何本も生えてそこにお玉らしき調理器具。不思議な世界だ。

3階 (撮影禁止) にはあぁ草間流だぁという作品が並んでいる。愛とか死とか一生とか宇宙とか自殺未遂なんてのもある。これだけ点々というか水玉というかバリエーションすごいなぁ。風景も人間の顔も模様もいろんなものが映りこむ世界・・・うーん。私にも私だけの世界があるような気がしてきちゃう!!!
参考; https://yayoikusamamuseum.jp/home/

そして4階は、映え体験してきましたよ。部屋に入ったら・・・・・もうこれは写真でわかるのか?ぜひ体験すべきですね。5階のオブジェは、花でした。実に草間流です。原色使い最高!!そして屋根がオープンなのでまさに空の下です。途中2階にあるトイレのドアを開けると・・・・なんと鏡が赤水玉に!!写真見てね。写真はないけれど、エレベーターも赤水玉の鏡張りでした!
共感とかいう世界ではなく、草間彌生の見えてる世界ってすごいな!という楽しい美術館でした。お土産にハンカチとステッカーを買いました。

外務省外交史料館展示室 2024 11 21

外務省外交史料館展示室

麻布台ヒルズ森JP。なぜこんなおしゃれなところに・・・とおもいましたが・・・ここは港区、大使館なども多くある場所なんですよね。ここはほんとに貴重なものが置いてあって、実際に見ることができてすごくよかったです。ペリー来航からの日本の外交に関する文書、条約の締結文書など貴重なものがたくさんあります。必見です!!!
(今回は一部紹介です。)

日米和親条約 批推書(ヒジュンショ)

日本が開国して結ばれた最初の条約ですね。まさにここから日本は国際社会へと飛び出していく最初の一歩であったと思うと、歴史はずっとつながっていると思いました。直にこのような条文を見ると、ふしぎと昔々とつながったような気分になりますよ。

でも日本は、鎖国状態ではあったけれど、学問や技術は実は学者さんたちは海外からの知識も学問として知っていたり、開国後も決して学問的に劣ることはなかったということで、誇りに思います。

戦争放棄に関する条約 認証謄本

これは、1928年(昭和3年)8月27日に調印された条約で、提案国は、アメリカ、フランス、日本、イギリス、イタリア、ドイツなど15か国が調印国として締結(のちに、63か国に拡大)。不戦条約とも呼ばれるそうです。このような条約がむすばれていながら、この後戦争はおきてしまうわけで、私自身勉強不足で知らなかったので、おどろきました。条約の締結は国際社会において重要であると思う一方で、簡単に破棄できてしまう危うさも感じて現代の戦争国などを思うと、恐ろしくも感じました。そして、太平洋戦争終結。
日本の降伏。戦争終結から6年は占領状態。1951年(昭和26年)9月7日サンフランシスコ平和条約、翌日には、日本とアメリカの日米安全保障条約が結ばれました。
当時吉田茂首相が読み上げた巻紙は30mもあり、外国人記者からは「まるでトイレットペーパーのようだ」と評されたそうです。私も実際に見てびっくりしました。
また、日米安全保障条約の署名本書は、これがよくニュースにもなっている「ニチベイアンポ」かと思いました。

この他の条約調印署名も多く展示されており、この目でみることのできるとても貴重な史料なので、世界と日本の歴史をしるよい機会となりました。

おまけ・・・愛宕神社
神谷町虎ノ門方面の改札から少し移動・・・
愛宕神社へ続く参道であったろう場所を歩き、みえました・・・おそろしく急な階段がその階段をのぼれば、都区内では最高峰の三角点があります。愛宕神社はそういう場所にあったのですね。

愛宕神社(あたごじんじゃ)
【主祭神】
火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉
【配祀】
罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉 
将軍地蔵尊・普賢大菩薩
ということで、江戸の町の防火のために創建されたことがよくわかる神様ですね。そして、86段の階段ですが、もちろん上りましたよ~雨降りでしたので、傘をさして一段一段ゆっくりと決して振り向かず、下を見ることなく!だって振り返ったら落ちていく感覚になると思ったので。とにかく1段が高さもあり、そしてとても急階段なのです。こんなところ馬で駆け上がるなんて、なんと無謀なと思いますが、間垣平九郎が馬であけあがり徳川家光に愛宕神社の梅を見事献上したことで「出世の階段」とよばれるようになったのですね。結構いろんな方が馬で駆け上がるの成功しているらしいです。(凄い!!!!!)

三角点
愛宕神社がある愛宕山は標高25.7メートル。出世の石段を登り切った右手には、山の証しである三角点があります。天然の山としては、23区内で一番の高さということで、江戸時代はさぞ見晴らしもよかったのではと思います。
帰り道は鳥居階段ではなく脇の階段で下まで降りましたが、あぁここは山なんだな。と実感できます。