天王寺墓所~谷中霊園(日暮里)~寛永寺
さて梅雨入りも間近という6月後半。暑い最中に墓地ぼち散歩行ってまいりました。今日は日暮里。谷中霊園です。
が!しかーし!
谷中霊園は、明治7年に谷中天王寺の敷地等を東京府が引き継ぎ開設されたため 天王寺墓所、寛永寺墓所、谷中霊園が入り組んでいる。そもそもの天王寺には幸田露伴の五重塔のモデルとなる五重塔も建立されていたのだから、その広さに驚く。ではまずは日暮里駅南口からわずか2分? 天王寺へ天王寺はあまりみかけない樹木があったので紹介 美しい寺内をあとに、むかいにある天王寺墓所へ






千人塚
東京大学のお医者様の塚?と思いきや・・・東京大学医学部に献体された人たちを慰霊しようと建てられ、中央が、明治3年から13年9月までに、向かって左が明治13年9月から21年9月まで、向かって右が明治21年9月から37年8月までに献体された人たちのお墓です。 東京大学医学部は毎年、解剖体慰霊祭を行い、遺族や医学部関係職員、初めて解剖実習に臨んだ医学科の学生が参列しているそうです。 おそらく病死した方々の献体と思われるが、明治の頃は解剖後の遺体を家族に返すことはなかったのだろうなぁ。一基1000人の骨が収められているそうだ。※使われている漢字変わった漢字ですよね。意味は調査不足です💦

市川團蔵(6代7代8代)(いちかわだんぞう)の墓所
歌舞伎の世界のことはよくわからないが、養子縁組などで名をついでいくことも多いようだ。6代目は5代目の未亡人の養子となり7代目は、二代目市川九蔵の養子となった人で、8代目は、7代目の次男ということらしい。歌舞伎役者は襲名していくので、活躍の内容がファンでないとわからないなぁ。



三遊亭 圓遊(さんゆうてい えんゆう)の墓所
落語家で初代とされている圓遊は本来は3代目だそうだ。この3代目圓遊が着物の裾をまくってのステテコ踊りで大人気となり初代ということで定着してしまったらしい。



五重塔跡
墓所の一画に開けた場所がある。その場所にはかつて幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった塔が立っていたらしい。三度の火事消失でもう再建はしないのだろう。3度目の火事は焼身心中が原因だったようだ。なんとももったいない話である。が、あの幸田露伴の五重塔がもし残っていたのであれば、登場人物がその場にいるような感覚が味わえたのだろうか???



次は谷中霊園へ
とても入り組んでるんですけどね、どこが天王寺で寛永寺で谷中霊園なのかさっぱりですけども・・・

長谷川一夫(はせがわかずお)の墓所
日本映画界を代表する二枚目の時代劇スター。私の母曰く、美しい顔の役者さんだそうだ。その美しいお顔を切られる事件があったようで、お年を召した頃の写真をみると確かに傷が残ってますね。役者の大事な顔を傷つけられるなんて・・・ひどい話です。
高橋お傳(たかはしおでん)の碑
明治の毒婦と呼ばれたが、実際は毒婦ではなく、殺人行為は相手に非があったとされている。だが、殺人を犯したわけなので恐ろしい女性ではある。そして、先ほどの千人塚ではないが、死刑にされたあとの遺体は解剖献体にされたらしい。墓所は小塚原回向院にある。で、その碑が谷中霊園にあるのはなぜなのか?面白い記事を見つけたので興味のある人はどうぞ
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渋沢栄一(しぶさわえいいち)の墓所
日本の実業家で、日本企業の土台となるようなおおきな会社に多くかかわった人であります。現在の経済の礎を築いた人物。徳川慶喜に仕えていたのに、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになったのは、何の因果なのでしょうね。渋沢家のお墓、すごーく広いです。そして、渋沢栄一の墓は、主君であった徳川慶喜の墓の方向を向いているらしいですよ。目の前には、澁澤家墓所より伝統的な「立曳き」で移植されたタブノキがあります。まもなく新一万円札の顔になる人ですものね。ここにこれてよかったです。




横山大観(よこやまたいかん)の墓所
日本の画家。横山大観といえばやはり富士山でしょうか。富士山の絵の天才ともいわれ日本画水墨画の巨匠ですね。でもお墓はいたって普通な感じで、でも形が長方形ではないですね。もちろん墓の横には大観の功績を記した碑もありました。
次は寛永寺墓所へ
徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の墓所
説明はいらないだろう。江戸時代の終焉。徳川15代将軍であるが、ここに墓地があるのは一般人だから?慶喜は神道式の埋葬を希望していたため丸い墳墓であるが、寛永寺霊園に神道式があるのも不思議な感じである。ちょっと確認できなかったが、奥方だけでなく側室の墓もあるようだ。写真で確認したらなんと慶喜公の後ろにありました・・・むかって右に新村信子と左に中根幸のようです。






観音寺の築地塀
江戸時代の築造で土と瓦を交互に積み重ね造られています。今もなお有形文化財として残されているので、塀をみながら道をあるくとちょっとタイムスリップした気分になれますよ。また谷中には古い建物も少し残っていて古き時代の情緒を感じます。
谷中銀座を見下ろせる夕焼けだんだん
この階段からは美しい夕焼けを眺めることができるそうです。お昼でしたのでそれはできませんでしたが、名前は一般公募によって命名されたそうです。



※※参考になる地図※※



おまけ・・・
竹隆庵岡埜(ちくりゅうあんおかの)
http://www.chikuryuan-okano.com/
こごめ大福 ヨモギが売り切れてましたが白の方2個お土産に買いました。すごくすごくおいしかったです。(^^♪






































































































































































