天皇の話 その3(決史八代「孝」の天皇たち 後編)
とても興味深い決史8代のうちの孝霊天皇と孝元天皇について書いておこう。
欠史という割には活躍する子供が多いことや、これまた、徳島に縁が深いこと、さらには吉備への勢力拡大など子供たちは活躍しているし、卑弥呼候補になっている倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が娘にいる。さらには桃太郎伝説のモデルと言われる彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと吉備津彦)。そして、このあたりから物部氏の影がちらつくのである。
① 孝霊天皇(第7代 こうれい)
『日本書紀』:大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
『古事記』:大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)
妃:細媛命(こわしひめのみこと/ほそひめのみこと)孝元天皇の母となる。父は、磯城県主大目(しきあがたぬしのおおめ)、ここでまた磯城家が登場ですね。
妃:倭国香媛(やまとくにかひめ、生没年不詳)別名:意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)、絙某姉(はえいろね)、蠅伊呂泥(はえいろね)倭迹迹日百襲姫命と彦五十狭芹彦命お母となります。父は、和知都美命(わちつみのみこと)磯城家波延
妃:蠅伊呂泥(はえいろね)倭国香媛の妹。稚武彦命(わかたけひこのみこと)の母。
<<主祭神として祀られる神社>>
葛城神社(かつらぎじんじゃ)徳島にある神社で葛城一言主尊(かつらぎひとことぬしのみこと)とともに孝霊天皇も祀られている。
宅宮神社(えのみやじんじゃ)、多賀神社(たがじんじゃ)には孝霊天皇の皇子が祀られている。
※神武からはじまりここまでの天皇の妃は出雲系(磯城家)で固められている。出雲系といえば大国主。この方は国譲りした神様ですけど、その子孫たちは天皇家の子孫繁栄をになっているではありませんか。どういうことなのか。とても重要ななにか隠れているような気がします。倭迹迹日百襲姫命の卑弥呼候補については、またどこかで書きたいです。
②孝元天皇(第8代 こうげん)
『日本書紀』:大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
『古事記』:大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)
妃:欝色謎命(うつしこめのみこと) 父は大矢口宿禰命(おおやくちのすくねのみこと)祖をたどれば宇摩志麻治命(うましまじ)、饒速日命(にぎはやひ)となり物部系となる。
妃:伊香色謎命(いかがしこめのみこと)父は大綜麻杵命(おおへそきのみこと)こちらも物部系だが母が高屋阿波良姫(たかやあわらひめのみこと)「阿波」がはいることから、阿波の人?実は父の大綜麻杵命を祀る神社は徳島県にのみ存在し、「麻」といえば阿波忌部氏なので、関連を深く感じますね。
※私の中では伊香色謎命も卑弥呼候補なんですよね・・・
妃:埴安媛(はにやすひめ)父は河内青玉繋(かわちのあおたまかけ)この名前から、勾玉や玉飾りを作る、あるいは玉作りの技術を伝える豪族の長であったのだろうか。また、埴安媛は、崇神天皇の時代に反乱を起こして誅殺された「武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)」の母親。
※この時代から物部系の妃が誕生し、物部系豪族が力を持ち始めていることがよくわかる。どちらかというと技術集団の長的地位の父親が目立つので、勢力図に変化がみられる時期なのだろうと推察する。少し先の話になるが、崇神天皇がなぜ天照(アマテラス)と大國玉(おおくにたま)を宮中から外へだして祀ることにしたのか?その意味も妃の出自を知ることで推察妄想がしやすくなる。これもまた後に書いてみたい。
ここまで「孝」のつく天皇について書いたが、天皇になるには母親の身分も大事であるし、嫁がせる側の勢力も地位向上のための娘の存在がこういう世界ではとても重要だった(政略結婚的な)ことを感じずにはいられません。



















































































































































































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