墳墓 吉見百穴 2023 10 19

吉見百穴(よしみひゃくあな・ひゃっけつ)

この不思議な山の穴は、江戸時代には記録が正体不明とうことで、明治時代に発掘調査がはじまり、大正時代に6世紀末~7世紀後半の古墳時代に作られた横穴式の墓という結論になったようです。

吉見百穴(よしみひゃくあな・ひゃっけつ)

太平洋戦争末期に、地下に巨大なトンネルが掘られ軍需工場が造られたときに、発見されていた横穴の一部が破壊されてしまい、237基から219基へ減少したそうです。この軍需工場跡の方は現在入ることはできません。巨大な地下迷路?だったとか・・・・。

さて穴のほうですが・・・・もともとは穴には石の蓋が立て掛けられていたそうですが、今は中に入ってみることができます。亡骸を置いていたらしき場所が区切られていたり、両サイドにその場所が作られていたり、人が立っても平気な高さの穴もあれば入るのも大変な低い穴もあります。墳時代とはいえ、少し身分の高い人とかその家族がまいそうされていたのでしょうか。

残念だったのは、この墳墓の穴の中には落書きがひどくたくさん彫られていること!!!!人の墓を荒らす不届き者がいるなんて悲しくなります。むかしむかしは、子供が遊び場にしていた時もあったようなので、落書きもいたしかたないのでしょうか・・・。残念です。

おまけ・・・五家宝(ごかぼう)

帰りは埼玉名物「五家宝(ごかぼう)」を買いました。おこしとは違い、サクサクして軽く、歯にもくっつかず、きな粉で覆われほんのり甘い上品なお菓子でした。おいしくただきました。

丸木美術館 2023 10 19

丸木美術館

みなさんは原爆をテーマに作品を作り続けた丸木 位里(まるき・いり) 丸木 俊(まるき・とし)ご夫妻をご存じですか? 私は恥ずかしながら、今日ここへ来るまで存じ上げませんでした。原爆をテーマにした絵画をご夫婦で描き続け、世界中で展覧されたということです。

解説文書とともに展示してあるそれらの絵画は、恐ろしく、悲しく、心が痛い、いえ、体が痛いと感じるものでした。あの日あの時に起きた恐ろしい出来事を屏風絵に封じ込めてあります。ここに写したものを全部載せることはやめておきます。ぜひ足を運んでみてきてほしいと思います。それと、この夫妻が描いたものは原爆だけではありません。「水俣の図」「アウシュビッツの図」「南京大虐殺の図」なども描いており、展示されていました。もうひとつ、恥ずかしながら・・・・南京大虐殺の歴史を私は知りませんでした。真実がどうであったのかはわかりませんが、このことが東京裁判でも取り上げられ認定されたことは歴史上の真実で、恐ろしい時代の日本人が犯した恐ろしい歴史だと、今日知ったのです。
この時代でも戦争は続いています。戦争以外にも人災はあります。人が犯す罪は必ず防げるものであると信じたいですね。

草間彌生美術館 2024 02 15

草間彌生美術館

五階建ての建物で、はいるとすぐに赤いに黒の水玉オブジェが出迎えてくれる。あぁ草間流だぁ!って感じ

2階 (撮影禁止) はちょっと違う。初期の作品は色も落ち着いていてどこか幻想的で、もちろん彼女の見えている世界はこうなんだな・・・・という絵ばかりであるが、現在の作品とは色合いがまるで違う。さらに奇妙な指のような銀色一色のオブジェがある。指が何本も生えてそこにお玉らしき調理器具。不思議な世界だ。

3階 (撮影禁止) にはあぁ草間流だぁという作品が並んでいる。愛とか死とか一生とか宇宙とか自殺未遂なんてのもある。これだけ点々というか水玉というかバリエーションすごいなぁ。風景も人間の顔も模様もいろんなものが映りこむ世界・・・うーん。私にも私だけの世界があるような気がしてきちゃう!!!
参考; https://yayoikusamamuseum.jp/home/

そして4階は、映え体験してきましたよ。部屋に入ったら・・・・・もうこれは写真でわかるのか?ぜひ体験すべきですね。5階のオブジェは、花でした。実に草間流です。原色使い最高!!そして屋根がオープンなのでまさに空の下です。途中2階にあるトイレのドアを開けると・・・・なんと鏡が赤水玉に!!写真見てね。写真はないけれど、エレベーターも赤水玉の鏡張りでした!
共感とかいう世界ではなく、草間彌生の見えてる世界ってすごいな!という楽しい美術館でした。お土産にハンカチとステッカーを買いました。

外務省外交史料館展示室 2024 11 21

外務省外交史料館展示室

麻布台ヒルズ森JP。なぜこんなおしゃれなところに・・・とおもいましたが・・・ここは港区、大使館なども多くある場所なんですよね。ここはほんとに貴重なものが置いてあって、実際に見ることができてすごくよかったです。ペリー来航からの日本の外交に関する文書、条約の締結文書など貴重なものがたくさんあります。必見です!!!
(今回は一部紹介です。)

日米和親条約 批推書(ヒジュンショ)

日本が開国して結ばれた最初の条約ですね。まさにここから日本は国際社会へと飛び出していく最初の一歩であったと思うと、歴史はずっとつながっていると思いました。直にこのような条文を見ると、ふしぎと昔々とつながったような気分になりますよ。

でも日本は、鎖国状態ではあったけれど、学問や技術は実は学者さんたちは海外からの知識も学問として知っていたり、開国後も決して学問的に劣ることはなかったということで、誇りに思います。

戦争放棄に関する条約 認証謄本

これは、1928年(昭和3年)8月27日に調印された条約で、提案国は、アメリカ、フランス、日本、イギリス、イタリア、ドイツなど15か国が調印国として締結(のちに、63か国に拡大)。不戦条約とも呼ばれるそうです。このような条約がむすばれていながら、この後戦争はおきてしまうわけで、私自身勉強不足で知らなかったので、おどろきました。条約の締結は国際社会において重要であると思う一方で、簡単に破棄できてしまう危うさも感じて現代の戦争国などを思うと、恐ろしくも感じました。そして、太平洋戦争終結。
日本の降伏。戦争終結から6年は占領状態。1951年(昭和26年)9月7日サンフランシスコ平和条約、翌日には、日本とアメリカの日米安全保障条約が結ばれました。
当時吉田茂首相が読み上げた巻紙は30mもあり、外国人記者からは「まるでトイレットペーパーのようだ」と評されたそうです。私も実際に見てびっくりしました。
また、日米安全保障条約の署名本書は、これがよくニュースにもなっている「ニチベイアンポ」かと思いました。

この他の条約調印署名も多く展示されており、この目でみることのできるとても貴重な史料なので、世界と日本の歴史をしるよい機会となりました。

おまけ・・・愛宕神社
神谷町虎ノ門方面の改札から少し移動・・・
愛宕神社へ続く参道であったろう場所を歩き、みえました・・・おそろしく急な階段がその階段をのぼれば、都区内では最高峰の三角点があります。愛宕神社はそういう場所にあったのですね。

愛宕神社(あたごじんじゃ)
【主祭神】
火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉
【配祀】
罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉 
将軍地蔵尊・普賢大菩薩
ということで、江戸の町の防火のために創建されたことがよくわかる神様ですね。そして、86段の階段ですが、もちろん上りましたよ~雨降りでしたので、傘をさして一段一段ゆっくりと決して振り向かず、下を見ることなく!だって振り返ったら落ちていく感覚になると思ったので。とにかく1段が高さもあり、そしてとても急階段なのです。こんなところ馬で駆け上がるなんて、なんと無謀なと思いますが、間垣平九郎が馬であけあがり徳川家光に愛宕神社の梅を見事献上したことで「出世の階段」とよばれるようになったのですね。結構いろんな方が馬で駆け上がるの成功しているらしいです。(凄い!!!!!)

三角点
愛宕神社がある愛宕山は標高25.7メートル。出世の石段を登り切った右手には、山の証しである三角点があります。天然の山としては、23区内で一番の高さということで、江戸時代はさぞ見晴らしもよかったのではと思います。
帰り道は鳥居階段ではなく脇の階段で下まで降りましたが、あぁここは山なんだな。と実感できます。

NHK放送博物館 2024 11 21

NHK放送博物館
愛宕神社のすぐお隣にありますので、神社に参拝の際は無料ですので是非寄られるとよいですよ。昔懐かしいものから現代の放送技術まで見ることができます。大河ドラマ「光る君へ」の紫式部、藤原道長、おじゃる丸や、ちこちゃんもいました。現在は、「今日の料理」の企画展示もされていて企画がいろいろならいつ行っても楽しいかもですよ。天気予報とかアナウンサーになった気分も楽しめるスペースありました!あと画面上は海の中にいるみたいなスペースも。放送の歴史だけでなく楽しみました。
世代ごとに楽しめる「あ、これ観てた!」という懐かしさ。それとは真逆の終戦玉音放送ニュースのアナウンス原稿の貴重な展示も。知ってる放送も知らない放送もその歴史が学べます。(行って楽しんでください)

おまけ・・・(麻布台ヒルズ)
ランチは、タワープラザ1F「ペリカンカフェ」の注文後に焼き上げるふわふわオムレツサンド。墓地さんぽの先生お薦めの、ワープラザ1Fの「ペリカンカフェ」では、老舗パン屋「ペリカン」の食パンを使った、注文後に焼き上げるふわふわの「オムレツサンド」が人気だそうです。
トーストされたパンに、分厚くふわふわのオムレツが挟まれたサンドイッチはボリュームすごくておなかいっぱいに!!
おしゃれ感ただよう麻布台ヒルズは、クリスマスマーケットの準備中でした。

登戸研究所資料館 2025 03 20

さて、この日は生田の駅を降り五反田川を横目に明治大学生田キャンパスにたどりつくまでは戦争の遺物についてこれまでと同じよう戦争の悲惨な被害による教訓となる施設・・・と思い歩いていた。キャンパスという場所も入る機会も今はなく、俗用でいえば浮足立っていたかもしれない。しかしながら、その遺物の館を前に、本来の意味を持つ「浮足立つ」に気持ちは変わっていった。
ここは恐ろしい場所だった・・・

私の感想など聞かなくても、インターネットでいくらでも現在は知ることができる。それでもあえて、ここに私の感じたことを残しておこうと思う。私にとっては大きく深い課題ではあるが、墓地ぼち散歩の卒業にはふさわしいかもしれない。また、資料館を見学するにあたり、資料館スタッフさんがガイドをしてくれたので、多くはガイドに基づくものである。

※館内の写真撮影は禁止なので、ホームページで公開されているものを使用させていただきました。

※帝銀事件で発覚する日本軍の実態、秘密研究
参考  2021年8月7日 講演会 YouTube

第1展示室
登戸研究所の全容
ここでは、もともとの研究所ジオラマが展示されている。生田のこの高台に多くの働き手が仕事を求めてやってきたのだろう。軍研究所が政府下にあるなか、登戸研究所は1937年に設置された参謀本部直下の研究所だった。つまり、政府の方針とは別に秘密戦の研究を自由に行うことができたのである。登戸研究所は、正式名称を第九陸軍技術研究所という。この土地はもとはブラジル移民のための研修所(日本高等拓殖学校)だったそうで、研究所を経て、戦後は慶應義塾大学に貸し出され、1951年に明治大学農学部が移転してきたそうです。

第2展示室
登戸研究所第一科 風船爆弾

直径10mの和紙とこんにゃく糊をはりあわせてつくられた風船をアメリカ大陸まで到達させるべく研究された。ジェット気流にのせて2晩と半日で到達したそうです。高度維持装置を自動で落とすしくみや、到達後燃え尽きる設計だったそうです

将来的にはウィルスを乗せる予定だったようです。アメリカ大陸には1000発以上が着弾。アメリカ側の被害は、6名(子供5名、妊婦1名)着弾した不発弾にさわった子供たちの命が奪われました。9300発が放球され、犠牲は6名。ガイドスタッフの方がこの数をどうおもわれますか?という質問がきたが・・・・・答えようもなかった。成功か失敗かでいえば、日本軍としては失敗なのだろう。また、試験段階での日本側にも被害がでているらしく、そちらの方が多かったかもしれない。

この風船爆弾の製造に関わったのは、日本全国の女学生。余談ではあるが私の母(93歳)は、岐阜県で女学生の頃、この和紙とこんにゃく糊をはりあわせる作業をしたそうだ。なので、風船爆弾のことは知っていた。その作戦研究をしていたのがこの場所であったとは・・・。それにしても海でなく空。気象条件などの調査などどのようにしたのか・・・
日本の天気予報にそのころの知識が生かされたと信じたい。

第3展示室
登戸研究所第二科 生物兵器 毒物 スパイ機材


諜報部員が使用するスパイ道具を研究開発するグループや、枯葉剤や毒物を研究するグループ、細菌研究など7班もの研究グループがあったようです。

スパイ道具といえば、映画で観るようなものでしょうか・・・カメラ・ライター・カバンなど。そしてなによりも、動物で実験していた生物兵器。こちらでは多くの動物で実験したため慰霊碑が建立されています。人体実験をしたのは、あの有名な731部隊。中国のハルピンや南京などで死刑囚などにこの実験を行ったそうです。リアルな証言として私記が公開されていました。

「はじめは厭であったが、馴れると一ツの趣味になった・・・(略)」
人の心理はどうしてこのように変化するのか・・・人の死よりも知識欲が上回っていくのだろうか。命を奪う行為にいつ何時、どのような事態であっても否定的でありたいが、経験した人でしかわからない気持ちだろう。悲しいことだ。

4展示室
登戸研究所第三科 印刷技術研究 偽札


キャンパス内には、5号棟、26号棟という木造平屋建ての建物が存在しましたが、老朽化のためそれぞれ2011年、2009年に解体されたそうです。

5号棟は偽札の印刷工場、26号棟は偽札の保管倉庫として使用されていたそうです。1937年に日中戦争がはじまりますが、日本は武力での制圧は難しく、経済戦争をしかけるため偽札を作ったようです。国家が他国の偽札を作ることは国際的道義にも反しますので、偽札作りの第3科は3mの板塀で囲われていたそうです。偽札は中国国内の経済の混乱と現地での物資調達の目的で日本円にして40億円分も刷られたそうです。

しかしながら、予算も労力もかけたこの作戦は中国で起きたハイパーインフレのせいで失敗に終わりました。日本が刷った少額の紙幣よりも大きな額の紙幣が発行されたため使うことができなくなったのです。この印刷技術も後の日本紙幣の素晴らしい技術になんらかをもたらしているとしたら複雑な気分ですね。

第5展示室
研究所の疎開から現在の研究所保管に至るまで

第2次世界大戦で戦況が悪化し、研究所は長野に疎開しました。内地に敵軍が攻め込んだら必要となる水などに毒を入れ、自分たちはきれいな水が確保できるように、ろ過装置が研究されその遺物が長野で発見されたそうです。敗戦となると、機材や資料、印刷物などはすべて処分されます。証拠隠滅・・ですが、一人の女性が1冊の「雑書綴」を持ち出します。もちろんみつかれば重犯罪、後に第2科での様子を読み解くことができた貴重な資料となりました。

暗室

研究所には暗室が1部屋用意されています。
入口から中に入るのに工夫がされていてドアをしめ、電気を消すと廊下の光さえさえぎられ完全な暗室になります。
写真の現像はもちろんですが、どのような実験に使われていたかはわからないそうです。

戦争犯罪としての研究
さて戦後GHQによって接収された研究所ですが、関係者は尋問を受けたにも関わらず戦犯とはなりませんでした。アメリカへの情報提供を条件に免除されたようですが、真実は闇の中・・・ですが、朝鮮戦争やベトナム戦争で登戸研究所の開発された生物化学兵器の技術が使用されたなどとも言われたり、帝銀事件の際には、731部隊や登戸研究所関係者が捜査対象になったりしましたが、捜査は途中で頓挫・・・なぜなのでしょうね。

沈黙から記憶の保管へ
登戸研究所第2科第一班長であった伴氏は、沈黙を守ってきましたが長野県赤穂高校の高校生たちの取り組みによって、その気持ちが軟化していきます。話せないこともあるが、歴史は残していきたい。高校生である彼らにだからこそ語るのだということで、元所員の人々も重い口を開き始め、その活動の後にタイプをしていた女性が隠し持っていた「雑書綴」も提供されることになったり、こうして登戸研究所の歴史は闇に埋もれず歴史研究保全されていくことになったのです。

キャンパス内の遺物その1
弾薬庫

これは薬品などの保管庫ではないかといわれています。通称が「弾薬庫」だそうです。年中一定の温度だそうで保管庫に適していたことでしょう。

キャンパス内の遺物その2
防火水槽

あちこちに防火水槽がおかれていました。

キャンパス内の遺物その3
消化栓


空襲はもちろん研究所内での研究火災も想定されていたのでしょう。
陸軍のマークである星印が記されています。

キャンパス内の遺物その4
第5号棟(偽札作りの棟)

現在は取り壊されています。駐車場になっていました。

キャンパス内の遺物その5
動物慰霊碑
実験動物の霊を慰めるための大きな石碑です。1943年に東条英機首相兼陸相から授与された勲章の副賞現在の価値で1000万のうち半分でこの碑を建てたそうです。後ろには「陸軍登戸研究所建之」と刻まれています。

キャンパス内の遺物その6
弥心神社 やこころじんじゃ

(現、生田神社 (いくたじんじゃ))
動物慰霊碑の他、1000万円のうちの半分を使い、この神社は建立されました。ここには有志で建てられた句碑があります。
「すぎし日は この丘に立ち めぐり逢う」という句で、これはこの研究所で勤めた人達が、死ぬまで沈黙を貫こうとおもっていた記憶を、戦後数十年を経てこの丘に立ち話すことが許されたなという気持ちの句だそうです。

ここでひとつ・・・・私が注目したのは、この神社に勧請された神様なのですが、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)この神様は有名な日本神話アマテラスの岩戸隠れの話でアマテラスに外に出てきてもらうために知恵を絞る神様です。また、国譲り神話では出雲へ送る使者選定をし、天孫降臨では八咫鏡を祭事に用いました。知恵と計略の神様です。八幡信仰(応神天皇・・・勝利の神)ではなく思兼神を勧請したことはこの研究所に似つかわしいのかもしれません。なぜか・・・勝利とかでなく知恵。戦争に関するこの研究所の存在意義がこの神様を勧請した意味にもつながるのかなと感じました。

最後に。
今回の登戸研究所は日本人にとって負の遺物とも言えます。ですが、戦争は加害も被害も両面が必ず存在し、どちらにたっても辛い傷を負うのです。そんな人生をこの先の人類にしてほしくないと強く思いました。辛い歴史もまず知ることが大切だし、日本の教育から歴史そのものが選択性に変わっていくこともとても納得できません。すばらしい古代史から現代史まで日本の歴史は学んでいくべきものと強く強く感じました。

最後の最後は・・・
ハッピーアワー?
生ビールに餃子やニラ玉で小腹を満たし、五反田川の桜を眺め佳い一日を終えました。

これで私の墓地ぼち散歩は卒業となりました。

サントリー美術館 2025 02 15

エミール・ガレ 憧憬のパリ

ほんのごく一部ですが写真におさめました。


ランチ
宮川町 水簾
東京都港区赤坂9-7-1 東京ミッドタウン3F
参考; https://suiren-group.com/tokyo/

カウンターで頂く京弁当。こんなおいしい日本料理を久々に頂きました。
贅沢なひととき(¥4400)

チームラボ 2025 12 13

teamLab★麻布台ヒルズ

待望のチームラボへ行ってきた。
ほんとにすばらしくて、映像と自分の境界線は
どこにあるんだろう・・・
私はどこにいるのかなぁ
そんなことを思ってしまう。
美しいだけではない。
紹介すべき写真はあるが、公式ページの方が
いろいろ参考にできるだろう。
ぜひ!体験してほしい。

teamLab★麻布台ヒルズ
teamLab Borderless: MORI Building DIGITAL ART MUSEUM
森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス
参考; https://www.teamlab.art/jp/e/tokyo/

静嘉堂文庫とガウディ2026 01 28

東京駅丸の内南口ドーム~法務局旧本館

皇居~静嘉堂文庫美術館~ランチ~ガウディ展



アドミュージアムと浜離宮 2025 10 31

アドミュージアム 東京

江戸時代から現代に至るまでの広告史を学べる常設展示無料!

日本の歴史の中「広告」っておもしろい!
江戸時代から宣伝はされていたのですね。その宣伝広告の歴史が無料で楽しめるミュージアムです。
〒105-0021
東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留地下2階
JR新橋駅から徒歩5分
東京メトロ銀座線新橋駅から徒歩6分
都営大江戸線汐留駅から徒歩2分
参考; https://www.admt.jp/

江戸時代1683年に商売が盛んな江戸で登場した「引札」(チラシ)が越後屋が発行したものだそうです。広告のルーツですね。江戸編→明治編→大正編→昭和編→現在へとつながっていきます。昭和では、有名なCMなど流れているので懐かしいですよ。「観たことあるある」です。一部のみの紹介ですが、行くと楽しい広告やCMが待っています。個人的には江戸時代の番付表が面白かったですね。横綱、大関・・・東と西でわかれていて。写真がぼけっちゃったので載せられなかったけど、ぜひ見てきてください。絵画もそうなんですが、広告やCMはその時代の流行りとか暮らしの感じがわかって面白いです。

浜離宮恩賜庭園

初めて浜離宮庭園を訪れました。
徳川将軍家が海を埋め立て、「浜御殿」と呼ばれた鷹狩場です。
明治後は皇室の離宮となりました。この高層ビルの都会に広大な庭園が現在も広がっていて、静かで清々しい場所でした。
〒104-0046
東京都中央区浜離宮庭園1-1
<大手門口>
都営地下鉄大江戸線「築地市場」(E18)「汐留」(E19)・ゆりかもめ「汐留」下車 徒歩7分
参考; https://www.tokyo-park.or.jp/park/hama-rikyu/

お花畑に咲く花は、現在コスモスです。全体をゆっくり巡るには1日いた方がいいかも。散歩しながら庭園を一巡りしてきました。庭園は低い松がとてもよく手入れされていて、盆栽の大きいの!!ってイメージで年季を感じます。
海水を引き入れた池や2つの鴨場、将軍が船で乗降する「お上がり場」、4つの茶屋など、当時の鷹狩りでやってきた将軍や家来などの過ごし方が想像できます。さらに、三百年の松がなかなか凄いですよ。大手門から入ると、すぐに見つかります。


ランチは、シンガポール海南鶏飯 汐留店で
海南鶏飯(蒸し)(揚げ)ハーフ&ハーフをいただきました。¥1200なり。(食べログは1400円になっているけど1200円だったよ・・・???) ラクサセットとかもいいですね。そんなに辛くないっぽい・・・これも1200円なんだけどなぁ???

東京都港区東新橋1-5-2 汐留シティセンター B1F
地下鉄銀座線 新橋駅 汐留口 徒歩3分
参考; https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13045651/