天皇の話 その2(決史八代「孝」の天皇たち 前編)
4代までの天皇は間違いなく出雲系(磯城家 事代主)より妃を迎えているがこの「孝」の天皇から少し勢力が変わってくる。出雲系も中でも尾張氏や和珥氏の家系から次の天皇が生まれるのである。寵愛を受けるか受けないか・・・政治的な結婚もあからさまになっている感じがいよいよしてきますね。まぁ・・・それまでも妃の出自で次の天皇が決まることが多かったようですけど。だんだんと変わっていきますよ。
① 孝照天皇(第5代 こうしょう)
『日本書紀』:観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
『古事記』:御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)
妃:世襲足媛(よそたらしひめ)父は日本書紀では天忍男命(あまのおしおのみこと)で和珥氏、古事記では、意富那比(おうなび)で尾張氏
えっ?どっちなのと思うが、「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)では、天忍男命の祖父祖母が天村雲(あめのむらくも)と阿俾良依姫(あひらよりひめ)なので尾張氏ではないかと思う。つまりは、尾張氏系で意富那比=天忍男命ということになる。このアメノムラクモとアヒラヨリヒメについてはどこかで語りたい。
とにかく妃は尾張氏から。
<<主祭神として祀られる神社>>
三松彦神社(徳島)阿波の研究者たちからはこの地が孝照天皇の皇居掖上池心宮(わきがみのいけこころのみや)であったという説があるらしい。奈良ではなく・・・
国中神社(徳島)国の中というくらいなので、この地が政治の中心であったという伝承もあり、第6代孝安天皇を祀る神社も近隣にある。
※他にも、ご祭神ではないが箱根神社、東霧島神社(宮崎県)、阿蘇神社(熊本県)のご由緒などに孝照天皇の御代になどと出てくるので実在が推定される。
② 孝安天皇(第6代 こうあん)
『日本書紀』:日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
『古事記』:大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)
妃:押媛(おしひめ/『日本書紀』)または忍鹿比売(おしかひめ/『古事記』)父は天足彦国押人命(あめのおしたらしひこくにおしひとのみこと)和邇(わに)氏の祖先となる。孝安天皇の兄にあたるので、姪と結婚したことになる。
<<主祭神として祀られる神社>>
孝安天皇社(こうあんてんのうしゃ)この神社の境内地は、孝安天皇の皇居であった「室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)」の伝承地とされています。
※こうしてみると、まだまだ出雲系の勢力の強さが感じられますね。神武天皇の御代からずっと出雲系は変わらず妃を出していますが、どんな理由があるのでしょう。祭祀系の一族であるとは思いますが、一族の女性を皇族に嫁がせるのは出雲系に限っているわけではないとおもうので、勢力争いもありますし、逆説!天皇への忠誠=人質的な・・・意味合いもあるのかもしれませんね。しかしながら、この頃の天皇がそれほどの力を持っていたとは思えませんが。理由はいまのところ推察できません。所謂、天孫族だから?くらいしか。
古代はそれほど天津神と国津神に違いがあったのでしょうか。
さて、「孝」のつく天皇はあと二人いらっしゃいますが、次の第7代孝霊天皇(こうれい)はその子供たちがちょっと卑弥呼がらみでおもしろいので次に長めに語ってみたいと思いますので、少々お待ちください。

